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 市川市湊の江戸時代の
「祭礼河岸」横に奉られてい
る「水神様」です。毎年、6
月の最終土曜日に祭礼が
あります。私が子供の頃
の40年前に比べると倍以
上の露天商が出店し、人
出も6,000人程とかなり増
えています。
 川の多い江戸と、その
周辺には、多くの水神宮
が建っています。
 
500年前の江戸川の流れ
内匠堀
浦安は、何者なのか!
南行徳-誕生の謎
行徳-寺だらけ
三番瀬とはどこにある?
葛南雑記

葛南雑記 行徳・南行徳・浦安

ようこそ「葛南雑記 行徳・南行徳・浦安」 へ。
最終更新日 2010年10月2日
 このホームページは独断と偏見に満ちあふれた郷土史です、葛南地区に人々が住み始めてから幾度ととなく水害に襲われたため、これだけ寺社がたくさんあるにもかかわらず、まとまった資料はほとんど残っていません。
 遠藤正道氏・宮崎長蔵氏・鈴木和明氏などの著名な郷土史家の著作や、インターネット資料、現在の地形、過去の記憶、老父母からの聞き取り等は参考にしましたが、それ以外の資料集めにはほとんど時間とお金をかけず、私の直感で判断したものがほとんどです。
 たぶん史実が明らかになれば、嘘八百の内容になるのは明確です、仮想郷土史として、お読みいただければ幸いです。


ご意見募集中
打たれ弱い質ですので、
批判・お叱りは御免蒙ります。
500年前の江戸川は、いったいどこを流れていたのだろうか?

Google earthの画像です。
旧江戸川の浦安付近の地図です、真ん中の島は妙見島です。東京23区内でたった一つの天然の島と言われています
が本当でしょうか、Google earthの画像で見てみると左側の水路が極端に狭くなっています、そしてその流れは浦安の
境川と繋がっているように見えます。浦安の境川をはじめ、対岸の江戸川区の諸河川は鎌倉時代になると下総各地か
ら鎌倉へ向かう船の寄港地にもなっていたようです。

 境川の水門付近から見た妙見島です、境川と左側の川とがまるで繋がっていたかのようです。
 
豊受神社(猫実) 1157年創建                      清瀧神社(堀江) 1196年創建
 
 宝城院(堀江) 1196年創建                   宮前通り新橋から境川
 上記の三寺社の創建は、行徳領の中でも際だった古さです、豊受神社に至っては1157年創建(創建当初は当代島
の地にありました、後に鎌倉船の往来が増え、当時川津の入り口であった現在地に移転しました。)、頼朝挙兵前の出
来事です。
 なぜ古くから現在の旧江戸川沿いの浦安が開けたのか?1625年以前は江戸川の河口ではなかったはずなのに
(注)、なぜ今井・長島が津(港)として鎌倉時代から栄えたのか?この理由を解明するには、中世までの太日川(江戸
川)は、どこを流れていたかを検証しなければなりません

注:寛永2年1625年押切、伊勢宿の地で江戸川を締め切り、現在の流路に変更。「行徳郷土史事典」鈴木和明著、文芸社。
  江戸川は上流とは別に、下流の開鑿は寛永の初め頃であった、と私はいった。「葛飾風土史 川と村と人」遠藤正道著 明光企画
  お二人とも、湊から浦安までの江戸川は1625年までに開鑿されたと結論づけておられます。
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