関東における中世の水上交通について
利根川が常陸川水系と接続されて本格的な関東の水運が始まったのは承応3年1654年といわれてきました。
このホームページも、1600年時点では関宿から常陸川へは水路は繋がっていないという前提で進めてきまし た。ところが明治から大正にかけて活躍された歴史学者の吉田東伍氏は論文「利根川の変遷と修治」 のなか で、古利根川の派川である逆川が関宿に通じ、さらに関宿からいくつかの湖沼(縄文時代の香取海の名残)を つなげて常陸川に流れていたと、論説しています。下記参照。
この吉田東伍氏の論文は、新しい資料や、1624年以前に描かれたといわれる「下総之国図」(船橋市立船橋
西図書館蔵)により実証されています。
小笠原長和が「中世房総の政治と文化」1985年刊 吉川弘文館 東国史の舞台としての利根川・常陸川水脈
の中で、この論文の裏付けとなる資料をあげ、解説されています。氏の著書の内容を参考・引用して紹介した いと思います。
上記の論文に出てくる「家忠日記」について
家忠日記の作者松平家忠は、三河の松平の一族に生まれ、1575年21歳で家督を相続、各戦に参陣するが、城の普
請や修理などが得意だったようで、ちょっと変わった武将のようですが、その最期は壮絶で、慶長五年1600年、家康会 津攻めのさい、鳥井元忠等とともに、伏見城の守りにつきましたが、西軍が挙兵した際の目標とされ、十万前後の軍勢 に包囲されながら、籠城しよく戦いましたが、落城の際自刃しました。しかし家忠は伏見城の戦いよりも、「家忠日記」の 作者として、名を残しました。
家忠は武蔵忍城(埼玉県行田市本丸)を代理として預かっていましたが、本当の持ち主である家康の四男・松平忠吉
が入ったため、下總国香取郡(現在の千葉県旭市櫻井)の上代城(櫻井城)に移る事になりました。文禄元年1592年二 月のことです。
19日 新郷は、現在の埼玉県羽生市上新郷、現在の「道の駅はにゅう」周辺から乗船したようです。
20日 「矢はき」は茨城県坂東市矢作、関宿を通過し、常陸川水系に入っています。
21日 「かないと」は茨城県稲敷郡河内町金江津、常総大橋が架かっているあたりです。
22日 小見川で船を下りて、香取郡周辺の直轄領代官を務める吉田佐太郎の迎えを受け、用意された馬に乗り、上代
城(現在の千葉県旭市櫻井)に無事到着しました。
(この吉田佐太郎は、このあと葛飾郡の代官となり、市川市相之川の了善寺に陣屋を置いたとありますが、真相は定かではありま
せん。慶長元年1596年妙典村治カ右衛門に新塩浜開発書付を与えた事が宝暦六年1756年に書かれた「塩浜由来書」の載ってい ます。その後、佐渡金山の代官となった佐太郎は、年貢を50%も上げたため、江戸に直訴され、切腹しました。)
家忠は、上代城に2年間居ましたが、兵糧米を江戸に運ぶ際は小見川から出船しています。これも関宿を通り、利根川
から隅田川に出て、江戸に入ったようです。
「中世房総の政治と文化」には、このほかにも後北条氏の文書を中心に吉田東伍氏の論文を裏付ける資料がいろい
ろ載っていますが、一つだけ天正四年1576年の「北条氏照の判物」を紹介します。
関宿城は1576年には、後北条氏の勢力下にあり、氏康の三男である、八王子の滝山城主北条氏照がその支配
を任されていました。氏照の家来が船で佐倉から関宿、葛西から栗橋までを往復していました。その他にも沢山の船 が、この水域を航行していたのが読み取れます。天正期も利根川と常陸川水系は、繋がっていたようです。
船橋市立西図書館蔵の「下総之国図」を写真撮影したものからコピーしていただきました。一枚十円でした。原本を忠実に再現した複製品も見
せていただきました。本当はデジカメで撮影したかったのですが、断られてしまいました。
非常に貴重な資料であり、市井の研究者も見てみたいはずです。せめて写真が撮れるように期限付きでもいいので公開して貰いたいものです。
この下総之国図がどこまで正確なのかは、専門家の研究を待つしかありませんが、江戸川区の今井の場所が川沿いではなく、内側に書いていた
り、ややちぐはぐなところもありますが、資料としては一級品ではないでしょうか。
この研究報告によると、下総之国図が少なくとも、1615年以前に書かれたことは確かなようで、新井氏は1590年代に
描かれたのではないかと暗示しているようですが、研究者としては資料のない曖昧なことは書けないようです。
「@江戸川がない」のなかで、新井氏は、流山のさき野田の台地あたりから発し松戸で太日川に注ぐ河川が江戸川
の源流の様であると述べています。私は坂川ではないかと思いましたが、西平井・加村・桐ヶ谷がこの河川の右の台地 側に記されており、流路としては古庄内川と同じあたりを、流れているようです。利根川東遷の第一歩は古庄内川の開 鑿から始まったのかもしれません。
下総之国図で私個人として気になる点
@関宿城の上をとおり、利根川水系と常陸川水系がかなり大きい流れで繋がっている。
A現在の江戸川の原型である庄内古川が記載されておらず、関宿城の西側から流れ出る三つの流れは、一つにまと
まって現在の春日部付近で、利根川に合流している。
B関ヶ島から湊の海にかけて河川がはっきりと描かれている。
C現在の南行徳地区には地名は猫実しか記載されていない。
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