旧江戸川の浦安付近の地図です、真ん中の島は妙見島です。東京23区内でたった一つの天然の島と言われています
が本当でしょうか、Google earthの画像で見てみると左側の水路が極端に狭くなっています、そしてその流れは浦安の 境川と繋がっているように見えます。浦安の境川をはじめ、対岸の江戸川区の諸河川は鎌倉時代になると下総各地か ら鎌倉へ向かう船の寄港地にもなっていたようです。
境川の水門付近から見た妙見島です、境川と左側の川とがまるで繋がっていたかのようです。
豊受神社(猫実) 1157年創建 清瀧神社(堀江) 1196年創建
宝城院(堀江) 1196年創建 宮前通り新橋から境川
上記の三寺社の創建は、行徳領の中でも際だった古さです、豊受神社に至っては1157年創建(創建当初は当代島
の地にありました、後に鎌倉船の往来が増え、当時川津の入り口であった現在地に移転しました。)、頼朝挙兵前の出 来事です。
なぜ古くから現在の旧江戸川沿いの浦安が開けたのか?1625年以前は江戸川の河口ではなかったはずなのに
(注)、なぜ今井・長島が津(港)として鎌倉時代から栄えたのか?この理由を解明するには、中世までの太日川(江戸 川)は、どこを流れていたかを検証しなければなりません。
注:寛永2年1625年押切、伊勢宿の地で江戸川を締め切り、現在の流路に変更。「行徳郷土史事典」鈴木和明著、文芸社。
江戸川は上流とは別に、下流の開鑿は寛永の初め頃であった、と私はいった。「葛飾風土史 川と村と人」遠藤正道著 明光企画
お二人とも、湊から浦安までの江戸川は1625年までに開鑿されたと結論づけておられます。
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